建国記念の日
今日は「建国記念の日」です。
間違えて建国記念日と覚えている方はいませんか?
建国記念日ではなく建国記念の日となったのには理由があります。
それは、日本という国がいつ建国されたのかが不明だからです。
しかも、この建国記念の日の2月11日を祝うようになったのは明治維新後の事で、それまでは(私が調べたところ)特に祭礼は行われていなかったようです。
天皇中心の中央集権国家を成立させるうえで、天皇の権威を絶対的なものとするために初代天皇である神武天皇の即位した日を紀元節の祝日として祝う事としました。
神武天皇の即位日は日本最古の歴史書である古事記や日本書紀に「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮」(かのととりのとし はる しょうがつ かのえたつさく てんのうていいそくい かしはらきゅうにおいて)と記されています。
これを明治政府は太陽暦(グレゴリオ暦)に換算し、神武天皇が即位した日は紀元前660年2月11日と(明治6年太政官布告第344号)定め、この日を建国した日とみなす事にしました。
さらに1889年(明治22年)には、この日を期して大日本帝国憲法が発布され憲法発布を記念する日にもなりました。
1891年(明治24年)には小学校祝日大祭儀式規程(明治24年6月17日文部省令第4号)が定められ、天皇皇后の御真影(写真)に対する最敬礼と万歳奉祝、校長による教育勅語の奉読などからなる儀式を小学校で行うことにります。
1914年(大正3年)からは全国の神社で紀元節祭を行うこととなり、1926年(大正15年)からは青年団や在郷軍人会などが主催する建国祭の式典が各地で開催されるようになりました。
しかし、この日本神話に基づく記念日は第二次世界大戦敗戦後に占領軍GHQによって否定されてしまいます。
明治政府が定めた「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」明治6年10月14日太政官第344号布告)を片山哲内閣により1947年(昭和22年)、日本国憲法にふさわしい祝日の法案の原案にはに紀元節を改め「建国の日」として盛り込まれていましたがGHQにより削除されました。
「建国の日」を削除した国民の祝日に関する法律(昭和23年7月20日法律第178号)が1948年7月に公布されると「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」は廃止され紀元節はなくなり、2月11日は平日となりました。
1952年(昭和27年)講和条約が発効して独立を回復すると2月11日を建国記念日として復活させようという活動が活発になり、たびたび国会に法案が提出されますが与野党の対立により廃案となる事が続きました。
1966年(昭和41年)に、「建国記念日」ではなく「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨の「建国記念の日」を制定することで与野党が合意し祝日法が改正されました。
なお改正法には建国記念の日は政令でこれを定めるとなっていることから、佐藤栄作内閣は、建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)を定めて、「建国記念の日」を2月11日とし1967年(昭和42年)の2月11日に実施され、紀元節の祭日であった2月11日は、「建国記念の日」として祝日となったのです。
0コメント